スペシャルレポート Vol.15 リリカルかつ美しい映像で 世界を魅了する 新海誠

 「どれほどの速さで生きれば、きみにまた会えるのか。」のキャッチフレーズのもと2007年に公開されたアニメーション映画『秒速5センチメートル』。息を呑むほど美しい情景とともに少年の繊細な心の揺らぎを描いた同作は、アジアパシフィック映画祭「最優秀アニメ賞」やイタリアのフューチャーフィルム映画祭「ランチア・プラチナグランプリ」を受賞するなど、国内にとどまらず世界でも高い評価を受けた。同作は監督みずからが同名小説を書き下ろし、映像と文章、二方向からの表現を実現させている。そんな新海誠監督が見ている世界の美しさとは、アニメーション可能性とは何か、お話をうかがった。

どんな国であっても、おもしろいものは必ず伝わる

――『秒速5センチメートル』は海外の映画賞を受賞し、2013年に公開された『言の葉の庭』は、台湾・香港・中国で日本と同時公開されるなど、海外での人気も高まっていますが、それについてご自身ではどうお考えですか。


新海 海外での上映会やトークショーなどのイベントに参加すると、作品を本当に好きでいてくれる方がたくさんいるのだと肌身に感じることができて非常にうれしいですね。自信にもつながりますし。でもこれは、今の時代では自然なことのようにも思えるんです。ありがたいことに、日本のお客さんの中に一定数、僕の作品を好きだと言ってくださる方々がいて、それが仮に日本人の0.1パーセントくらいだとしますよね。国外へ輸出するというのは、その分母が1億人から72億人に広がったということじゃないかと思うんです。
 それは僕の作品だけに限らなくて、ハリウッド映画をはじめ、ある程度力のあるエンターテインメント作品というのは、今や、さまざまな媒体を通じて国外へ輸出されています。日本のマンガやアニメは、確かにガラパゴス的で独特なラインナップだとは思うのですが、これだけバリエーション豊かな作品があるのだから、その中のどれかを強い思いで「好きだ」と言う方が日本人以外にも存在するのはおかしなことではないと思うんです。


――『秒速5センチメートル』を作られたときに、今のように海外から評価を受けて広がっていくことは想定されていましたか。


新海 いえいえ、それはまったく。とくに『秒速~』に関しては、自分自身が観たいものをつくりたい、自分のまわりにいる何人かに観てほしい、という気持ちで作りましたから。誰もが共感できて楽しめるものではなくても、たまたま似たような経験があるとか、自分の琴線に触れるという人たちがいてくれればいいという、ある意味、受け手を限定して作った作品だったんです。『ほしのこえ』(2002年公開)のころから国外にも発信していただいていましたし、海外の映画祭にも何度か足を運んではいたので、そこにお客さんがいるということは知っていました。でも、海外を意識して作品を作ろうとは考えませんでした。私小説というわけではありませんが、かなりプライベートな作品ですし、「わかる人にはわかるよね」という気持ちで確信犯的に作っていたので、国外で上映されることについてはむしろ「いいんだろうか?」と感じていたくらいです。ですが結果として、『秒速~』は今でも海外で一番人気の高い作品です。それを「自然なことなのかもしれない」と思えるようになったのは、ずいぶん後になってからでした。


――2008年には、ヨルダン、カタール、シリアにて、現地のクリエイターを対象としたデジタルアニメーション制作のワークショップを行っていますね。中東地域は、日本とはまるで違う文化や価値観を持っていると思うのですが、そこで受けた印象はいかがでしたか。


新海 もうだいぶ前のことなので、今とはずいぶん状況も違っているとは思うのですが……。特に印象深かったのは、ヨルダンの児童館に集っている子供たちがみな、『美少女戦士セーラームーン』が大好きで、スケッチブックに絵を描いていたことです。ヨルダンはイスラム教の国なので、女性はヒジャーブで頭をまいて髪の毛を隠しているんですね。目元しか出すことを許されていないサウジアラビアなどに比べれば、そこまで宗教的に厳格ではありませんでしたし、僕たちと同じような格好、たとえばジーンズを履いている方などもいましたが、それでも基本的に肌は露出していません。生まれたときからそれを常識として育ってきた彼女たちの日常感覚と、セーラームーンのような露出度の高いコスチュームを着た少女たちのイラストのあいだにある距離感を、どんなふうに受けとめているんだろうと不思議でした。でもたぶん、そんなこととは関係なくおもしろいものはおもしろいし、好きなものは好きなのだろうと今は思います。
 ほかにも、シリアで仲良くなった男性の車に乗せてもらったら、ガンダムの主題歌が普通に流れ始めたことがあって。ダマスカスの町をシリア人の車に乗って走り、そこに僕も当たり前に知っているアニソンが流れている。それはちょっとシュールな光景な気もしましたが、うれしい気持ちにさせられました。彼らの存在が近しく感じられて。シリア人の中にも僕とよく似た人もいるし、友達の誰かに似ている人もいる。国としてのシステムの違いはもちろんあるけれど、人間の持つ多様性というのはどこにでもあって、国を超えて共通する部分はさまざまにある。だから同じ作品をおもしろがることだって、当然あるんですね。それだけのことなんだなというのが現地で得た実感です。


作品のおもしろさは、翻訳によって損なわれない

――新海さんの作品で描かれる情緒性の高さは、日本特有の感覚のような気がして、「海外の方にも正しく伝わるのだろうか?」と思ってしまいます。しかしそれらは文化を超えて伝わるということでしょうか。


新海 そうですね。『秒速~』を作っていたころは、確かに僕にもそうした疑問はありました。先ほどもお話したとおり、日本国内であっても観る人を限定した作品だと思っていたので、果して海外に持っていっていいものなのかな、と疑問もありましたし。でも今は、あまりそういうことは気にしなくていいのではないかと思っています。
 たとえば『言の葉の庭』では、ヒロインが相聞歌――万葉集に出てくる恋の短歌を口ずさむシーンがあって、主人公はそれに返歌をするんですね。解説が入るわけではないので、確かに海外の方にはわかりづらいのかもしれませんが、日本人にだってわからない人はたくさんいると思うんです。僕だって、唐突に短歌を詠まれたらきっと何を言っているのかわからないでしょうし(笑)。だけど、意味はわからなくても、それによって二人が特別な関係になることは伝わります。どれだけ優れた翻訳をしたとしても、文化や言語には百パーセントの互換性があるわけではなく、完璧ということはありえません。ですがそのことと作品の面白さというのは、あまり関係ないんじゃないでしょうか。


――日本語は多様性のある言語であるがゆえに、その翻訳の難しさが輸出へのネックになることもあるのでは。


新海 もちろん、「僕」や「俺」といった一人称の多様性や、「さん」や「ちゃん」などの呼びかけの微妙なニュアンスの違いは、僕自身も含めて作り手が繊細な感覚で使い分けていると思いますし、作品にも生かされています。一人称のすべてが「I」に統一されてしまうことによって、失われるものもあるでしょう。でも、そのせいで作品そのものが成り立たなくなることは基本的にはないと思います。海外に滞在していたとき、英語を勉強するために現地で『耳をすませば』などのDVDを買って、英語で聴いていたりしたんですが、微妙なニュアンスや台詞が変わっていたりしました。でも作品総体で受ける印象は変わりませんでした。やっぱり雫はかわいかったし、聖司はかっこよかったし、ラストには感動したんです。逆に「日本人にしかわからないことって具体的になんだろう?」と今は思いますね。そういうところを目指して作った作品というのも、もしかしたら存在するのかもしれませんが、僕にはちょっと想像がつかない。作品というものは、誰かが受け取った瞬間に受け手のものになりますから、こちらが「この人たちにはわからないだろう」と勝手に決めつけていたとしても、それを超えて想定外の層が共感してくれることもあるんだと思います。


――海外でのファンとのふれあいや、『秒速~』の反響によってそれを体感されたのですね。


新海 そうですね。『秒速~』を作ったときは、対象年齢を決めるとしたら25歳以上かなと思っていたんですよ。少なくとも就職したことのある人や、失恋したことのある人じゃないと共感しようのない作品だろうと。ところがふたを開けてみたら、中学生や小学校高学年の子が「感動した」と言ってくれることも多かった。「まだ働いてもいないどころか高校生になってもいないのに、いったいどこに共感したんだろう?」と驚きました。けれど、自分が十代だったころを振り返ってみて、経験したことのないものが描かれている作品は楽しめなかったかというと、やっぱりそうではなかったんですよね。『ノルウェイの森』を高校生のときに読んで、自分の人生にもいつかこんなことがあるんじゃないかと予感めいたものを重ねてみたり、知らない世界でも心に響いてくるものは確かにあった。それが仮に、作り手が想定していなかったものだとしても、です。そんなふうに国外の方に作品が届くことはあるのだと思います。
 アニメーションの翻訳(吹き替え)で唯一問題があるとすれば、「音がずれる」ということくらいでしょうか。理想の尺におさめるために、台詞の長さや効果音を緻密な計算のもと1秒以下の単位で設定しているのに、言語が変わったとたんにこぼれてしまうということはままあります。僕の想定した気持ちよさとは違うタイミングになってしまうことは翻訳する以上は不可避なのですが、そうした細部の違和というのは生まれて当然です。だからといって、そのせいで作品総体のイメージが崩れてしまう、ということは基本的にはないように思うんです。


あのときの自分にしか作れなかった『秒速5センチメートル』

――『秒速~』では、情景の移り変わり、たとえば線路の踏切ひとつとっても、すべてのシーンが美しく描き込まれています。その世界の描かれ方に対する驚きが作品をボーダレスにした一因なのではないかと思います。


新海 僕はずっと田舎で育って、大学進学のために上京してきたんですが、最初の何年かは東京が好きにはなれなかったんです。人混みでは頭が痛くなるし、満員電車はつらいし、山も見えないし。単調な眺めだと思っていたんですが、何年かたつうちに人が絡んだ思い出がたくさん出来てきて、風景がきれいに見えるようになってきたんです。東京の街自体が変わっていなくても、目に映る光景はきらめくようになっていった。逆に自分がうまくいっていないときは、やっぱりくすんで見えたりもするように、すべては自分の気持ち次第で、基本的に世界はどんな些細な一瞬であっても美しいものだと思えるようになったんです。その実感があったので、『秒速~』は風景を美しく見せられるものにしたかった。とくに背景美術や色彩は、カットが切り替わるたびに美しさに驚いてもらえるものにしようと、かなり意図的に作り込みました。登場人物が救われない話だったりもするので、そこでバランスを取るつもりだったりしたんですが、今思うとそのバランスのとり方は無理があるなあと思います(笑)。美しく描こうとしすぎてファンタジーになっているところもありますし、今だったらきっとここまで全カットに力を入れるようなことはしませんね。緩急は必要ですし。でも当時はやりすぎとは思ってなくて、全カット全力投球でいこうと。そういう作り方ができたという意味で『秒速~』は特別な作品なんです。


――『秒速5センチメートル』や『言の葉の庭』はご自身で小説も執筆していますが、それぞれの表現方法を用いることに特別な意識はありますか。


新海 『秒速~』のときは小説を書くのも初めてだったので、ただただ精いっぱいでした。自分にできるのかどうかもわからずに、毎月締め切りが来るので書いていたという記憶しかないんです(笑)。ですが最近では、自分がアニメーション監督だけでなく小説執筆やCM制作などさまざまな場所に足をかけさせてもらっていることに自覚的になってきたので、どれをやるにしても「ここでしかできないことをやろう」と強く意識するようになりました。たとえば小説を書くのであれば、この原稿を渡されても絵コンテにするのは難しいというものにしようと。なので、映像にしづらい表現を頻繁に入れるようにしています。そうすることで本業の小説家ではない自分が文章を書く意味が持てるんじゃないかと思っています。映像を作るときも同じで、単純に文章表現には移しかえられないものを作りたい。そういう思いは年々強くなってきています。


――だからこそ新海さんの作品は、アニメーション映画と小説の両方に触れることで補完しあえるような効果を得られるんですね。


新海 実際、『秒速~』のときは補完する気持ちが強かったんです。あの作品は3話構成で、1話と2話は20分以上あるんですが、3話は短くてほとんど山崎まさよしさんの曲で構成されているんです。本当はドラマ部分をもう5分くらいとったほうがバランスがよかったんじゃないか、そうすべきなんじゃないか、と思わないでもなかったんですが、制作スケジュールの都合もあって(笑)。時間もお金もなくて、とにかく終わらせなければという勢いで完成させた結果の作品なんです。でも終わって何年か経ってみると、「あれがよかったんだ」と言ってくれる方もいますし、大人になってからのエピソードが一番短いというのは、大人になるにつれて体感時間が短くなっていくことの表現にもなっていて、結果的にはよかったと思っています。あのころは映画やエンターテインメントをつくるための文脈やコンテクストみたいなものを知らなくても、作ってしまえば誰かの心に届くんじゃないか、どこかにこういうものを必要としてくれている人がいるんじゃないか、という気持ちで作っていたんです。今思うと未熟なところも多いし、観返すのもつらい作品ではありますが、そのいびつさみたいなものが魅力になりえているのかなあと思えるようになりました。言い訳がましいですけどね(笑)。
 でもたとえば、僕自身が視聴者になったときにも体感としても似たようなことがあって。今回ノミネートもされている『とらドラ!』が僕はすごく好きで、長井龍雪監督ともたまにお目にかかってお話する機会があるのですが、「『とらドラ!』のここがいいんですよね」なんて話をすると「え、あそこが?」なんて反応が返ってきたりするんです。でも、“僕にとっての『とらドラ!』”というものがあって、それは聖典のような存在で、100%全部いいんですよ。たとえ作り手の方々には本意ではなかったような箇所も、そこも含めてすべてが好きです。『秒速~』は今の自分の目線で見ると完成度は低いんですが、その低さみたいなものがある種の“行間”のようになって、結果、受け手がそれぞれに「自分のためだけの作品」と感じてくれているのかもしれません。実際、作っていたときも、たとえこれまでにないようなものができあがったとしても、それを受けいれてくれる人が一定数はいるのではないかという感覚がどこかにあったんですよね。


――その予感めいた思いは、どこから生まれたのでしょう。


新海 たぶん、普段生活している中での実感でしょうね。僕は弘兼憲史さんの『黄昏流星群』というマンガが大好きなんですが、二十代で手にとった時にはなんだかよくわからない世界だと思ったんです。壮年の、おじさん、おばさんの恋愛を描いた作品集なので。ところが自分が中年になって読み返してみたらとてもおもしろくて何度も読み返すようになりました。逆に中高生のころに夢中になったマンガが今もおもしろいか、というとまたちょっと違うんです。そのときどきで出会った作品にそれぞれ影響を受けてきたように、自分の趣味嗜好や生活がどんなに変わっていったとしても、自分の求める作品が常にどこかに存在するんだということを肌で感じて知っている。だから、自分が作りたいもの、観たいものを世に出せば、それを必要としてくれる人がきっと同じようにいるだろうと信じることができたんだと思います。
 『秒速5センチメートル』は、いろんな意味であのときの自分にしか作れなかった特別な作品です。それと同じで、今の自分が作る作品は当時の自分には作れないものだと思います。新しい作品にとりかかっているところなのですが、あのころの自分が「ああ、これは自分じゃ作れないな」と思えるものにしなくちゃいけないですし、きっとそういうものになってくれると信じています。



(2014年11月25日、コミックス・ウェーブ・フィルムにて/取材・文=立花もも)

作品紹介

『秒速5センチメートル』

監督/新海誠 制作/コミックス・ウェーブ・フィルム

パッケージ販売/コミックス・ウェーブ・フィルム

秒速5センチメートル 作品情報

PROFILE

新海誠しんかい・まこと

1973年、長野県生まれ。アニメーション監督。2002年、個人で制作した短編作品「ほしのこえ」でデビュー。以降『雲のむこう、約束の場所』『秒速5センチメートル』『星を追う子ども』など次々と作品を発表し、次世代の監督として国内外で高い評価と支持を受けている。2012年、内閣官房国家戦略室より「世界で活躍し『日本』を発信する日本人」として感謝状を受賞。2013年『言の葉の庭』が全国公開され、ドイツのシュトゥットガルト国際アニメーション映画祭にて長編アニメーション部門のグランプリを受賞した。