スペシャルレポート Vol.2 日本の文学を海外の文学賞が注目

 いま、日本の小説が世界で注目を浴びはじめていることをご存じだろうか。2012年、惜しくも受賞は逃したが、東野圭吾氏の『容疑者Xの献身』がアメリカ探偵作家クラブ主催のエドガー賞最優秀長編賞にノミネートされた。2013年には、鈴木光司氏の『エッジ』が米国シャーリー・ジャクスン賞長編賞を受賞。本年はさらに、円城塔氏の『Self-Reference』が米国P・K・ディック賞特別賞を、上橋菜穂子氏が児童文学のノーベル賞と呼ばれる国際アンデルセン賞を、中村文則氏がノワール小説の分野に貢献した作家に贈られる米国デイビッド・グーディス賞を受賞した。日本人が生み出す物語は世界でどのように評価され、受け止められているのだろうか。中村文則氏にお話をうかがった。

「英訳を思い出作りにはしない」――舞い込んだチャンスを形に

 2010年、著作『掏摸[スリ]』で大江健三郎賞を受賞した中村文則さん。同賞では賞金のかわりに英語・フランス語・ドイツ語いずれかでの翻訳出版が約束されている(※現在は開催終了)。『掏摸』は『TheThief』として米国Soho Pressから英訳出版されることが決まった。
「それまではアジアでの翻訳出版しかなかったので、嬉しかったですね。元々英語圏の作家は多く、アメリカにも様々な国から来て英語で書いている作家が大勢います。その中で、翻訳費用をかけてまで他国の本を英訳出版しようと思ってもらえるには、やはり高いハードルが要求される。英訳出版というのは難易度が高いらしいんです。でも一度出版されれば他国へも広がりやすい。出版界の中心はニューヨークといわれていますし、いいスタートラインに立てたと思います。クライムノベルに強い老舗出版社と契約できたことも影響しているのかもしれません」
 英訳版『掏摸』が出版されたのは2012年3月。そして同月にはアメリカAmazonで「月刊ベスト10小説」に選出され、続いてウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)紙で2012年の「ベスト10小説」「ベスト10ミステリー」にも選ばれた。さらに、翌年6月に英訳出版された『悪と仮面のルール』(『Evil and the Mask』)も同紙の2013年「ベスト10ミステリー」およびアメリカAmazonの「人生で読むべき100ミステリー」に。そのほか、『掏摸』がロサンゼルス・タイムズ・ブック・プライズ、『悪と仮面のルール』はブラム・ストーカー賞の候補作にノミネートされ、最初の英訳出版からわずか2年でデイビッド・グーディス賞受賞となった。
「アメリカにおけるAmazonの影響力は大きいみたいです。『掏摸』の内容自体が伝わりやすいのもよかったのかもしれません。天才的なスリ師である主人公が、東京に存在する絶対的な「悪」の存在に運命を翻弄される話で、スリのテクニックも書かれている。そんなあらすじが、アメリカの人にとっても興味をもたれやすかったのかもしれない。実際、アメリカのプロモーション担当者からも、プレゼン時に強く興味を持つ人が多かったと聞いています。読んでさえもらえれば、という自信はこちらにも一応ありましたし、その最初のハードルをクリアできてからは、新聞や雑誌だけでなくミステリー愛好家のサイトなど、様々にとりあげてもらえました」
 アメリカで発売後すぐに単行本は増刷、Kindle版も同時期にかなり動いていたという。またたく間に米国で知名度と評価をあげた中村さんは、ブックフェスティバルやトークショーに招聘され、渡米することとなる。
「英訳出版が決まったことはもちろん嬉しかったんですが、思い出づくりにはしないと決めていました。せっかくのチャンスなのだから、そこで満足しては駄目だと。いずれ現地に行くことになるだろうという予感もあったので、英会話にも通いました(笑)。後に実際訪れたとき、もちろん通訳の方がついてくれたんですが、ときどき自分の言葉でしゃべってみると現地の方の反応がすごくよかったんですよ。この人はただ呼ばれて来たわけじゃない、ここで本気で何かをやろうとしているんだ、というのが伝わるのだと思います」


これまでにない“禅ノワール小説”としての評価

『掏摸』が発売されたとき、WSJ紙は同作を“読者を疑念に揺らがせる、哲学的なサスペンス小説”と評した。そして『悪と仮面のルール』が発売されたときにつけられたのが、“禅ノワールの旗手”という肩書だ。
「様々な媒体がそれぞれに解釈して評価してくださるのが、とても興味深いです。そもそもブラム・ストーカー賞はホラー・ダークファンタジーに贈られる賞なので、なぜ『悪と仮面のルール』がノミネートされるのかと最初は驚きました。しかしながら、父親から社会の悪、「邪」となるように育てられた青年が、一人の女性を守ろうと陰ながら動くという話なので、いわれてみればそういう側面もあると後から思いました。デイビッド・グーディス賞に関してはノワール小説に贈られるものなので、確かに自分の小説はノワールでもありますよね。アメリカに行って読者の方と触れたときに、もっとも言われたのが『こういう小説は読んだことがない』ということでした」
 中村さんの小説で、主人公たちは常に善悪の狭間で揺れ続けている。その徹底して描かれる自己との対話が“禅”ノワールと呼ばれる所以で、ヒーロー/ダークヒーロー物の多いアメリカでは新鮮に受け止められたのだろうか。
「僕の小説に、勧善懲悪の要素はありません。僕の書くようなタイプの悪が珍しいのかもしれません。それに一言で悪といっても、一つとして同じものはないんです。饒舌な悪もあれば(『掏摸』)陰鬱な悪もある(『悪と仮面のルール』)。普通の人が越えてしまった悪もあれば(『去年の冬、きみと別れ』)、すべてを超越した集大成的な悪もある(『教団X』)。デビューから12年、一貫して人間の悪の側面を書き続けていますが、そうした姿勢に僕の個性も現れているんだと思います。もちろん、善悪の境界線というテーマそのものは、ドストエフスキーやカミュ、サルトル、三島由紀夫といった多くの作家たちが様々な形で書いてきています。僕自身がゼロから完全に新しいものを生み出しているのでは当然なく、蓄積された文化の上に僕なりの新しさを加えているということです」


世界で戦うのに何より大事な「個性」

 純文学でありながらエンターテインメント。その両立こそが日本における中村さんの評価を高めている一因であり、おそらくは国外でも同様だ。その証拠にWSJ紙は“ジャンルを超えている”とも評している。
「アメリカでの評価のされ方がどうやら日本と同じらしい、と気づいたときに、僕がまず思ったのが『変えなくていいんだ』ということでした。これまで貫いてきたスタイル、小説への取り組み方を、何も変える必要がないんだと。日本でも海外でも、おそらくやるべきことは同じなんです。自分の中でスキルアップさせていけば自ずと何かがついてくる。海外で受け入れられるために、ことさら何かをしなくてはいけないということもない。むしろ寄ってしまえば個性が失われることに繋がり、失敗してしまうんじゃないでしょうか。現代の作品として存在するときに自分なりの新しさを付加していくことは必要ですし、既存の何かに似ているだけの作品であれば、別のもので代替可能になってしまいます。アニメだって、ディズニーと似たものをつくるだけでは誰も見向きもしないでしょう?『ああ、僕たちの影響を受けてそういうものをつくったのね』と思われて終わりですから」
 近年、海外の文学賞を受賞している小説も、そうした個性に溢れたものばかりだ。日本にはまだまだ、海外に通用する可能性を秘めた日本にしかない小説が存在するのかもしれない。
「そう願いますね。韓国や台湾といったアジア地域だと、必ず読者から『いま好きな日本の作家は誰か』と聞かれるんですよ。でもアメリカでは、誰一人聞いてこなかった。日本人の作家がいることも、作品があることも知ってはいても、彼らはそれを日本文学というカテゴリーとして認識してはいないように思います。村上春樹さんが好きな人は、村上春樹さんの作品が好き。僕のことも『The Thief』を書いたNakamuraだ、ということでしかない。圧倒的に普及が足りていないんだと思います。だからこそ参入する可能性があるともいえますし、優れた作品はどんどん輸出されたほうがいい」
現在、『掏摸』などの翻訳国が様々に増えており、10月には、本屋大賞にもノミネートされた『去年の冬、きみと別れ』(『Last Winter We Parted』)が英訳出版される。
「10月にフィラデルフィアで、デイビッド・グーディス賞の授与式でもあるノワールコンが行われるので、それにあわせて出版されます。でも『掏摸』の次に、どの作品に翻訳オファーが来るかは国によって異なります。スペインではまず『何もかも憂鬱な夜に』だったし、フランスでは『銃』でしたし。これまで色々出版されてきましたが、今決まりそうなスイスはドイツ語圏でドイツでも流通するので、そうなれば予定も含めてこれで13か国だと思います。どんなふうに広がっていってくれるのか、とても楽しみです。
 僕が最も影響を受けたドストエフスキーが亡くなったのが1881年。100年以上前に存在したロシアの作家は、福島大学に通っている僕の根底を揺らしました。文化も言葉も何もかもが違うのに。海外への想いは、その原風景に起因しているような気がします。どうせ小説家をやっているんだったら、様々な人たちに読まれたいですし。だからといって欧米を舞台にした小説を書いたりしたら、きっと失敗します」
 では今後は、国内外の読者へ向けてどのような「悪」と向き合い、どんな作品を手掛けていくのだろうか。
「世界的には『NARUTO -ナルト-』が人気らしいということで、忍者ノワールなんて書くようになったらそこで終わりますね(笑)。そんなものを書いたらきっと、『あいつ海外狙って本腰入れてきやがったな!』って周囲から滅茶苦茶に言われそうです(笑)。やっぱり、変わらないのが一番でしょうね。自分らしいものを好きなように書く。そんなふうにずっと書き続けていくことが、結果として世界へつながっていく道なんだと思います」


(2014年6月18日、池袋にて/取材・文=立花もも)

PROFILE

中村文則なかむら・ふみのり

1977年、愛知県生まれ。福島大学卒業。2002年、『銃』で第34回新潮新人賞を受賞しデビュー。04年、『遮光』で第26回野間文芸新人賞、05年、『土の中の子供』で第133回芥川賞を受賞。10年、『掏摸[スリ]』で第4回大江健三郎賞を受賞し、同賞の権利である英訳出版を獲得。その後、英訳版『The Thief』がアメリカAmazonで2012年3月のベスト10小説、ウォール・ストリート・ジャーナル紙で2012年のベスト10小説に選出されるなど数々の評価を得たのち、14年、『悪と仮面のルール』とあわせてノワール小説への貢献を称えられ、デイビッド・グーディス賞を受賞。